思うこと。
世の中には色々な特性、性質があって、最近じゃその特性に名前が付くことが多くなった。
一般(多数派)の人とは少し違った自分の特性。
自分は人と違う、変なんじゃないか、おかしいんじゃないか、生きづらい。
そう思っている人は実は沢山いると知った。
その他諸々の界隈の人たち。
その区分された名前を知ることで救われる人もいる。
ショックは受けるけど、道が開けたような。
今までのモヤモヤしたものが晴れたような。
自分がこれまで感じてきた辛さは自分にその特性があったからなんだ、という納得。
そういう特性がある人たちは自分以外にもいるんだ、という安心感もある。
もちろんそれを知ったとしても、知ったところで別に、それは誰にでも当てはまることだし、それを言ったらキリがない、しょうがないから今まで通りやっていくしかない、という人もいる。
それもそれでいい。
それもその人にとって最善の策だ。
どちらが正しいというわけではなくて、本人が、自分がどうしていきたいか、どうやって生きていくのか、だと思う。
自分の特性とどう付き合っていくのか、これに尽きると思う。
特性のせいにしすぎず、自分を責めすぎず…。
真ん中くらいで。
それが一番難しいのかもしれないけれど。
自分なりに対策しながら、模索しながら、自分のやり方を探して、やっていくこと。
これでいいんだ。
自分はこうしてやっていくんだ。
こんな自分でいいんだ、という、自分の受容。
これが本当に大事だと思う。
それは少数派だとか多数派とか関係なく、どんな人にも言えること。
周りの人、世間にも、こういう考えが広まってほしいと思う。
「色んな人がいる、みんな違ってみんないい。」
月並みな言葉だけど、こういう考えが浸透するといいな。